No.30

Threadsを読んでみると、なんだかどうも怖い発想というのが組み込まれている人は珍しくもないことがよくわかる。どうやらSSDやHDDを持っている人は子どもを作るべきでないなどと書いてあったような気がしたのだが、これは私の読み間違い。なにやら発達障害を持っていたりその傾向のある人は「子孫に現れる遺伝要因を消すために子孫を作るのを控えるべきだ」という話らしい。

何かの形質の遺伝子を持っていることと、それが顕在化するかどうかはまったくもって別の問題である。多くの人が小さな要因を秘めていて、組み合わせや環境などでスイッチが入ることで現れる。そうでもなければ、些末な利き手の左右やその間のグラデーションは一体どうやって「大多数は確かに右利きだがポツンと左利きや両利きが現れる」などということがありえるだろうか。大昔の人はこんなどうでもいい左利きのことを「障害者」と呼んで排除しようとしたことを忘れてはいけない。そんなことで抹殺されてはたまったものではない、しかも「あなたは違うけれど家族や祖先にいるでしょ」という理由で見た感じ普通の人々も一族郎党巻き込まれるわけである。

もうそんなものは既に通り過ぎて、現在国が賠償をしている段である。「優良な子どもを残すために」「苦労を減らすために」などという発想はその効果に見合わない犠牲を必要とする。なぜかって、もう2000年ほども前の聖書に残された文面を言葉通りに読むのが正しいだろう。「体は、一つの部分ではなく多くの部分からなっています」「目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。」

時々、宗教は理想を書いていると見る人がいるようだけれども、この点については現実、まさに現実で読み手をぶん殴っているようにしか私には思えない。遺伝要素があるからといって、それが見えるように現れている人を妊娠出産から追い出せばいなくなるなどという夢想を敢えて続けようというのは悪意があるようにしか見えない。夢を見ないで現実を見よう。

引用箇所は新約聖書新共同訳コリントの信徒への手紙一から。