No.47, No.46, No.45, No.44, No.43, No.42, No.417件]

24℃。風に吹かれていると肌寒いくらい。いや、服の選び方が悪い。もうタンクトップでいてはいけない。

母方のおばが亡くなり、残るは母と長男であるおじだけ。私はこの2人に最後にちゃんと話してほしかったがどうも無理そう。

母の一家は、今はもう面影ない炭鉱の町、北海道美唄市で生まれ育った。祖父という人は末っ子の母が小学生のうちに美唄労災病院(現在は北海道せき損センター)に入院し、じん肺が治ることなく亡くなった。祖母は孫にあたる私が影も形もない時に、父と早く結婚するよう勧め母についてきた関東で亡くなった。

センシティブな話題であるが私の父は1945年1月に広島市内で生まれたが父方の祖母は身重だからとほかの息子2人を連れさっさと広島の山奥に疎開していた。そうでなければこの一家は生き残らなかっただろう。その時代、学校なんか何のその、ということらしい。

母方のおばたちのうち何人かは、父のことを嫌っていたらしい。そんな言葉が私にも投げつけられたが、そのため父は一切そのおばたちの対し家にこさせなかった。祖母はどうして娘たちの気に障った原爆のことも全然気にすることなく母との結婚をむしろ勧めたのだろうか?もうその不思議は解けないと思う。ヒントがあまりにも無さすぎる。

母はあの一番上の兄に対して非常に辛辣な感情を持っている。私の知り得ない感情なので具体的に書くしかないが、彼はじん肺で亡くなった祖父の後に北海道大学へ進学し火力発電の効率化の研究をした。その反面、幼い弟妹へのあれこれはしなかったというかできなかったということだろう。母はいつも飴を食べさせられていたという。ひどいすきっ歯だったらしい。食事は高校へ行っていた兄姉が帰ってきてから作ってもらっていたらしい。祖母は…既に健康状態が悪く時々入院していたと聞く。自分を悪く言われようとも、私は彼らの背景を知りたい一心で話をちらほら聞き出したがなかなか表と裏がかみ合わず、とにかく共通点としては祖父は早くに亡くなり祖母は入退院を繰り返し、長男は北海道大学へ行き生活を別としたのを母は「私たちを見捨てた」と怒りを抱いている、ということだ。

私たちはわかり合えない。何があったのやらと事態を把握することすらできず、ここに出てきた登場人物のほとんどと口を聞いたことがない。私は通り過ぎただけだ。通り過ぎただけの娘が「話をしろ」と求めるのもなにか威圧的すぎる気もするので、私はそう願ったことがある、というものをここに書き留めるだけにしよう。もう母を静かに見送らせてもらおうという計画だけが、私の中にはある。

学校の出入り口が9月11日に冠水した影響で、その近所の坂はアスファルトが花咲いたように穴が開いて、U字溝の外側も隙間ができてしまっています。小中学校の指定通学路なのでこの件を学校職員に報告しました。教頭から区の土木課に連絡するとのこと。

ええと、そこの町内会さん何も言わないのかなあ…私は入ってないけど、PTAの役員さんがその辺に住んでいるはずなんだけど…どちらかが区に言うだろうと思って放置してたんだけど、自転車ユーザーがあまりにもかわいそうだし何より道も細くて危ないから。まあいいや、必要なことは言ったからとりあえずラクになったわ。

正しくなんかないんだけどさ、欲望のままに、またはその人が必要なだけ全部を消費し続けるのって本当にいいのかなって思うことがある。昔うちの店に来てた銀行員や受付係といったお堅めの窓口さんたちは一ヶ月に二回ヘアカットしてたし、髭剃り、うなじの仕上げというルーティンを回し続けてたけど1997年の不況からそれをやめていったら売り上げは確かに減ったけどまともな生活時間を得ることができた。それまではぶっ倒れようが体調が悪かろうが物理的にその仕事量が終わらなければ更に次の日に延長されるだけで長椅子の待機列が伸びるだけ、でも夜の11時まで頑張ってもねえ、それでお客さんたちは「じゃあ朝や昼に来るか!」ってなることもなかった。お金があれば何でも消費し続けることができるっていうのはただの幻覚か幻想なんじゃないかな、そのお店や場所を作れる人がどれだけいるかにかかってるんじゃないの?お金を持っているお客がいることで続くことはあるけど、まずその商業をスタート・継続できる環境が整っていなければ、誰もその商業スポットを作り出すことはできない。自力でとまではいかなくても、個々人の持つ財産を担保に金を借りられる人がどれだけいるか、その人たちがどれだけ始めてくれるかじゃないのかなって思うわけですよ。

グダグダ書いててごめんね、今の商業環境・労働賃金(賃金だけで個人事業スタートできるかどうかの問題)のかみあわなさがあんまりにもひどいからさ、納得いかないんだよね。なんかおかしいよね。

■---my---

忘れたいことたくさん、忘れられないことたくさん

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