新宗教の人々私には10歳以上年の差のある夫がいます。彼は神道で、「建て前」の際の手際などよく知っていて、実家や店から神社の遠かった私には神道視点の発言が非常に助かることがよくあります。「御朱印」というものを知らなかったから、外国人の友達にそれを紹介することもなく今は後悔の念に駆られています。自分の知らないことを知っている人をつかまえておくのは大事です。彼には新宗教の中でも創価学会の家庭の子弟である友達が多く、ほかの宗教についても否定的な視点を持っています。私はほぼ無関心だったせいか、それとも土日祝日にかかわらず自由の利かない身だったせいか、そういうお誘いなどは受けたことがあまりありません。ところで、夫が結婚した直後から、ちょくちょく遊びに行っていた高校の同窓とのお付き合いが完全に途絶えたのを感じ、ついに「友達付き合いはトラブルがないのなら続けた方がいいのでは?」と言ったところ、驚くような話が出てきました。何度も創価学会への入会(入信?)を要求されていたこと、私がキリスト教を信仰していることを受けて、彼らに私と結婚するならば付き合いは一切しないと言われていたことなどを聞きました。私はよその宗教(団体)に関して悪くは言いません、よくも言いませんが…失礼だからです。それに、普段信仰の内容で論争するような立場に置かれたことがないし、何より客商売の人間としてずっと過ごしてきたので「失礼かどうか」が価値基準です。端的に無礼な人間だとは思われたくありません。彼らの新聞を読んだことはあります、彼らが維持するための収入源として大事にされていることは聞いていました。しかし、専門の辞書も持たずに解読するのは私には難しすぎました。漢字検定2級を取った後、準1級を取ろうか迷った頃「仏教用語ばかりで、私には使いそうにない知識だから」と背を向けたのがよくなかったのでしょうか。とにかくどの辞書をひいてみても意味がわからない単語が一文の中にふたつもみっつも出てくるのです、私は初日で音を上げました。ああいったものは素養がないと本当に難しいし、その素養にたどり着くこと自体が個人の環境によるものだとひどく実感した経験でした。ところで、「キリスト教徒と結婚するなら付き合いは一切しない」って高校生の時からの友人に言うって相当冷たいですよね。まるで、よその教えの人とは一切かかわらずに村にひきこもるアーミッシュのようです。私は根本的にそういうメンタリティを持っていません。そんなことをしていたら友達なんかすぐいなくなっちゃうじゃないですか。私は寂しいのも、どことも繋がりなく孤立するのもイヤ、人がごっそり集まるのがいい、というわがままな性格でずっと過ごしてきたのでこのままで生きていきます。耐えられるわけがありません。でも、「ほかの宗教を信仰する人の中でも新宗教の人とは距離置きましょうね、いいことは本当になくて辛くなると思います」とこっそり耳打ちしてくれた友人もいるので、それはよくよく考えておきます。そんなにややこしいことを夫が言われていたとは、当時の私には非常に大きな文化クライシスでした。現代日本の都市部でそういうことがありえるって、衝撃的です。 2023.11.20(Mon) 12:37:46 Nostalgies
私には10歳以上年の差のある夫がいます。彼は神道で、「建て前」の際の手際などよく知っていて、実家や店から神社の遠かった私には神道視点の発言が非常に助かることがよくあります。「御朱印」というものを知らなかったから、外国人の友達にそれを紹介することもなく今は後悔の念に駆られています。自分の知らないことを知っている人をつかまえておくのは大事です。彼には新宗教の中でも創価学会の家庭の子弟である友達が多く、ほかの宗教についても否定的な視点を持っています。私はほぼ無関心だったせいか、それとも土日祝日にかかわらず自由の利かない身だったせいか、そういうお誘いなどは受けたことがあまりありません。
ところで、夫が結婚した直後から、ちょくちょく遊びに行っていた高校の同窓とのお付き合いが完全に途絶えたのを感じ、ついに「友達付き合いはトラブルがないのなら続けた方がいいのでは?」と言ったところ、驚くような話が出てきました。
何度も創価学会への入会(入信?)を要求されていたこと、私がキリスト教を信仰していることを受けて、彼らに私と結婚するならば付き合いは一切しないと言われていたことなどを聞きました。私はよその宗教(団体)に関して悪くは言いません、よくも言いませんが…失礼だからです。それに、普段信仰の内容で論争するような立場に置かれたことがないし、何より客商売の人間としてずっと過ごしてきたので「失礼かどうか」が価値基準です。端的に無礼な人間だとは思われたくありません。
彼らの新聞を読んだことはあります、彼らが維持するための収入源として大事にされていることは聞いていました。しかし、専門の辞書も持たずに解読するのは私には難しすぎました。漢字検定2級を取った後、準1級を取ろうか迷った頃「仏教用語ばかりで、私には使いそうにない知識だから」と背を向けたのがよくなかったのでしょうか。とにかくどの辞書をひいてみても意味がわからない単語が一文の中にふたつもみっつも出てくるのです、私は初日で音を上げました。ああいったものは素養がないと本当に難しいし、その素養にたどり着くこと自体が個人の環境によるものだとひどく実感した経験でした。
ところで、「キリスト教徒と結婚するなら付き合いは一切しない」って高校生の時からの友人に言うって相当冷たいですよね。まるで、よその教えの人とは一切かかわらずに村にひきこもるアーミッシュのようです。私は根本的にそういうメンタリティを持っていません。そんなことをしていたら友達なんかすぐいなくなっちゃうじゃないですか。私は寂しいのも、どことも繋がりなく孤立するのもイヤ、人がごっそり集まるのがいい、というわがままな性格でずっと過ごしてきたのでこのままで生きていきます。耐えられるわけがありません。
でも、「ほかの宗教を信仰する人の中でも新宗教の人とは距離置きましょうね、いいことは本当になくて辛くなると思います」とこっそり耳打ちしてくれた友人もいるので、それはよくよく考えておきます。そんなにややこしいことを夫が言われていたとは、当時の私には非常に大きな文化クライシスでした。現代日本の都市部でそういうことがありえるって、衝撃的です。