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自分には輝きはないから
昨日アイドルさんのライブにお邪魔しました。自分にはもうあのような輝きはないから、そして自分にそれを求める気も起きないから、やはりきれいな指輪を自分のために買いたい…。
いつになることやら。何も頑張りたくない。今は眠り込みたい。Киноを聴きながら静かに過ごします。
昨日アイドルさんのライブにお邪魔しました。自分にはもうあのような輝きはないから、そして自分にそれを求める気も起きないから、やはりきれいな指輪を自分のために買いたい…。
いつになることやら。何も頑張りたくない。今は眠り込みたい。Киноを聴きながら静かに過ごします。
Oriental Music Show 20230520
<5月のオリエンタルなニューリリース特集!>
今週は、5月のオリエンタルなニューリリース特集
スイス・ジュネーブから出てきた多国籍バンドや、
半世紀以上も第一線で活躍するベテランまで、
世界6カ国から届いたオリエンタルな新作を、サラーム厳選でお届けします!
ワールドミュージック専門の音楽評論家 サラーム海上がナビゲートする ORIENTAL MUSIC SHOW。
今週は、5月のオリエンタルなニューリリース特集!
未来的なエレクトロパンクなサウンドに、
アラビア語などの伝統的なメロディーを重ねる“Yalla Miku”や、
現在、クラシック音楽の世界で最も注目されている若手チェリスト
“Jamal Aliyev”のデュオアルバムなどなど・・!
オリエンタルな新作をお届けします!
02:01 PREMIER DU MATIN / YALLA MIKU
02:06 MANGINAT MAHAPEHA / SABABA5,SHIRAN TZFIRA
02:10 SYNTAGI(MAGA BO REMIX) / ANTONIS ANTONIOU
02:17 OWL'S MISFORTUNE / BELA FLECK,ZAKIR HUSSAIN,EDGAR MEYER
02:20 ELEGY / JAMAL ALIYEV,ECE DAGISTAN
02:25 TENERE DEN / TINARIWEN
#Jwave
<5月のオリエンタルなニューリリース特集!>
今週は、5月のオリエンタルなニューリリース特集
スイス・ジュネーブから出てきた多国籍バンドや、
半世紀以上も第一線で活躍するベテランまで、
世界6カ国から届いたオリエンタルな新作を、サラーム厳選でお届けします!
ワールドミュージック専門の音楽評論家 サラーム海上がナビゲートする ORIENTAL MUSIC SHOW。
今週は、5月のオリエンタルなニューリリース特集!
未来的なエレクトロパンクなサウンドに、
アラビア語などの伝統的なメロディーを重ねる“Yalla Miku”や、
現在、クラシック音楽の世界で最も注目されている若手チェリスト
“Jamal Aliyev”のデュオアルバムなどなど・・!
オリエンタルな新作をお届けします!
02:01 PREMIER DU MATIN / YALLA MIKU
02:06 MANGINAT MAHAPEHA / SABABA5,SHIRAN TZFIRA
02:10 SYNTAGI(MAGA BO REMIX) / ANTONIS ANTONIOU
02:17 OWL'S MISFORTUNE / BELA FLECK,ZAKIR HUSSAIN,EDGAR MEYER
02:20 ELEGY / JAMAL ALIYEV,ECE DAGISTAN
02:25 TENERE DEN / TINARIWEN
#Jwave
スティックタイプ日焼け止め
コーセーのサンカット・プロディフェンス(スティックタイプ)、無色の方買いたいな。にせんえん…ポイント使うかな。さらさらだって聞いたからからだに使いたくて。
コーセーのサンカット・プロディフェンス(スティックタイプ)、無色の方買いたいな。にせんえん…ポイント使うかな。さらさらだって聞いたからからだに使いたくて。
理解なんか求めてない
ただ何もかもむしられて、何もかも
求めるものはもうこの世にはないことを私たちは知っている
ただ何もかもむしられて、何もかも
求めるものはもうこの世にはないことを私たちは知っている
「理解できない」
https://www.nhk.or.jp/minplus/0119/topic...
30代で夫が「がん」に 家族で見つけた「幸せのかたち」
リンク先註: (2023年4月14日放送のドラマ「幸運なひと」制作舞台裏をもとに記事を作成しています)
親友は先天性心疾患で、いつまで生きられるかわからないと言われていた。
しかし親友の母親と兄はそれぞれほかの病気を抱えていた。「健康な子を産めないのか」という父方の祖母のことばに耐え切れず、そして夫婦のどちらも外で働いたことがなく夫婦だけで賃金で生活する労働者層の人生は想像がつかなかったようで、すぐ近所にいた私の母に「働いて生活するって、できるの」と尋ねた後、この母親は兄を連れて入水自殺した。
私と親友は同い年だった。彼女は5月に、私は12月に生まれた。私と彼女が直接知り合ったのは小学校の入学式だった。私は、父方の親族に血のつながった女性がおらず、更に父は理容師。また広島人の父を「原爆の血」などと口走った母方のおばのため、それについて失礼だと叱った2人を除く母方親族女性とはまったく交流ができなかった。とにかく身の回りに自分と同じ性別の人間がいないのである。私は、同性の友人が初めてできたことをとても喜んだ。
しかし、彼女の家に遊びに行くと、彼女の父方祖父はこう言うのである。「またうるさいのが来たぞ、早く帰れ」と。いかつい顔のおじいさんで、しかもそこら中にある、彼らの苗字のついたアパートは全部彼らのものである。男に囲まれてずっと過ごした私は悪びれもせず「〇〇ちゃんが一人になっちゃうじゃない!明日もまた来るよ!」と返した。そう、おじいさんは嬉しかったのだ。
小学2年生の頃、彼女のおばあさんは私だけを呼んで、実はお母さんとお兄さんが自殺し、たった一人残された孫娘もいつ死ぬかわからない心臓病であるということを話した。自分たちが追い詰めてしまったこともこの時聞いた。おばあさんは、誰かに話したかったのだと幼い私にもよくわかった。
彼女は何度も検査入院をした。ちょうど梅雨の時期、1週間ほどいない。私はひどくつらい空白を感じた。彼女が死んだら、つらさはこんなものではないということを繰り返し、誰に言うでもなく過ごした。ちょうどこの頃、彼女のおばあさんは小学校のすぐ近くに開業した親族の病院に自分の孫娘を診てもらうのが苦痛だとこぼしたため、「病院は、どこにでもあるんです。個人の小さな病院ではなく、公立の病院に行った方がいいと思います、〇〇ちゃんは風邪をひきやすいし、全部診てもらえる病院が隣の駅にあります」とぼそぼそと話した。
中学生の頃は私たちにとって最高の時間だった。ひきこもりがちで内向的な彼女のクラスに行っては彼女を連れてほかのクラスを渡り歩き、友達をたくさん作らせた。この直前、私のせいで彼女は友達を作れないのではないかと悩んだのだが、結局彼女は独りぼっちでは新しく友達を作るどころか、普通に話しかけるのも億劫だったのだ。私はこの時、彼女の心理を知らなかった。「どうせ早くに死ぬのだから」と思っていたのだ。そして、彼女のいとこは、彼女に面と向かって「早く死んでほしい」と言って、少しでも長く生きられるようにはたらきかけていた私に嫌がらせをしていた。あのおじいさんにがみがみ言う私である、そんな母娘なんか怖くもなんともなかった。
高校受験が頭をかすめる。私の成績は彼女よりずっと上だった。当たり前だ、勉強するには体力が要るのだから、長時間頑張れないからだの持ち主がその点で劣るのはどうにもならない。しかし私にも目指すところがある。私は自分の両親が引越ししたいというのでちょうどいいタイミングで住所を学区の重ならないエリアに移すことにした。自分の両親も店があり、あまり遠くへは移動できないためここは幸運だった。引越しの日、彼女のおばあさんは泣いて別れを惜しんだ。「なあに、電車で一本です。またいつでも来ますよ」実際私はそうしたのだった。
独りになった彼女はやはり悲惨だった。ファミレスに呼び出され一緒に食事をした後、彼女に会計を押し付けて食い逃げした女子生徒がいたのだ。彼女は走ることができない。私は覚悟を決めて、グリップの効くスニーカーとデニムを着て、その相手のもとへ報復に訪れた。支払い分をその場で出させ、二度と彼女に近づかないことを半ば強制的に約束させた。証人は、父の友人男性だった。ことは簡単で、高校に話を出せば相手の経歴には傷がつく。あまり何度も彼女に手を出されると面倒だから、多少の脅迫や威圧は必要だ。
そうしているうちに彼女は人生で2度目の手術を受けた。私はわざと、彼女の病室に京極夏彦の「サイコロ本」を置いてきた。彼女は絶対に自分で選ばないような本である。あのいとことその母親に、私の存在を示さなくてはいけなかった。しかし、手術後のおばあさんが泣いて私に話したのは…彼女はやはり早くに死ぬということだった。私は何より、彼女の苦痛が和らげられること、少しでも軽くなることを望んでいると話した。彼女のある親族は、私の切り替えが早くて怖い、「理解できない」と仰っていたが、私の願いは最初からそうだった。
心臓の形は変えられても、人並みの大きさにすることはできない。
彼女は30になってすぐ、人生を終えた。どうやら私の教会の神父様の元職場でニアミスしたようで、彼女の就職先は大手保険会社だった。からだが無理でなければ、自分の時間と場所を持った方がいいというずいぶん前の言葉を覚えていたらしい。私たちは幸せだった。まだ生きている自分の方が、彼女の影を追い求めてしまっているくらいだ。私でなければありえなかったこと、私じゃなくてもよかったこと、色々あるけれどももうすべては過去になった。まるで私の善意のようなものを無理やり受け取らせたようだって?そう、受け取ってくれる人だから、なんでもしたんだ。
そう、理解できないほど、私たちはぴったりとはまったピースのようだった。彼女の遠い親族のおばさまは、「あなたたちはまるで、双子のようだったわ」と言っていた。畳む
https://www.nhk.or.jp/minplus/0119/topic...
30代で夫が「がん」に 家族で見つけた「幸せのかたち」
リンク先註: (2023年4月14日放送のドラマ「幸運なひと」制作舞台裏をもとに記事を作成しています)
親友は先天性心疾患で、いつまで生きられるかわからないと言われていた。
しかし親友の母親と兄はそれぞれほかの病気を抱えていた。「健康な子を産めないのか」という父方の祖母のことばに耐え切れず、そして夫婦のどちらも外で働いたことがなく夫婦だけで賃金で生活する労働者層の人生は想像がつかなかったようで、すぐ近所にいた私の母に「働いて生活するって、できるの」と尋ねた後、この母親は兄を連れて入水自殺した。
私と親友は同い年だった。彼女は5月に、私は12月に生まれた。私と彼女が直接知り合ったのは小学校の入学式だった。私は、父方の親族に血のつながった女性がおらず、更に父は理容師。また広島人の父を「原爆の血」などと口走った母方のおばのため、それについて失礼だと叱った2人を除く母方親族女性とはまったく交流ができなかった。とにかく身の回りに自分と同じ性別の人間がいないのである。私は、同性の友人が初めてできたことをとても喜んだ。
しかし、彼女の家に遊びに行くと、彼女の父方祖父はこう言うのである。「またうるさいのが来たぞ、早く帰れ」と。いかつい顔のおじいさんで、しかもそこら中にある、彼らの苗字のついたアパートは全部彼らのものである。男に囲まれてずっと過ごした私は悪びれもせず「〇〇ちゃんが一人になっちゃうじゃない!明日もまた来るよ!」と返した。そう、おじいさんは嬉しかったのだ。
小学2年生の頃、彼女のおばあさんは私だけを呼んで、実はお母さんとお兄さんが自殺し、たった一人残された孫娘もいつ死ぬかわからない心臓病であるということを話した。自分たちが追い詰めてしまったこともこの時聞いた。おばあさんは、誰かに話したかったのだと幼い私にもよくわかった。
彼女は何度も検査入院をした。ちょうど梅雨の時期、1週間ほどいない。私はひどくつらい空白を感じた。彼女が死んだら、つらさはこんなものではないということを繰り返し、誰に言うでもなく過ごした。ちょうどこの頃、彼女のおばあさんは小学校のすぐ近くに開業した親族の病院に自分の孫娘を診てもらうのが苦痛だとこぼしたため、「病院は、どこにでもあるんです。個人の小さな病院ではなく、公立の病院に行った方がいいと思います、〇〇ちゃんは風邪をひきやすいし、全部診てもらえる病院が隣の駅にあります」とぼそぼそと話した。
中学生の頃は私たちにとって最高の時間だった。ひきこもりがちで内向的な彼女のクラスに行っては彼女を連れてほかのクラスを渡り歩き、友達をたくさん作らせた。この直前、私のせいで彼女は友達を作れないのではないかと悩んだのだが、結局彼女は独りぼっちでは新しく友達を作るどころか、普通に話しかけるのも億劫だったのだ。私はこの時、彼女の心理を知らなかった。「どうせ早くに死ぬのだから」と思っていたのだ。そして、彼女のいとこは、彼女に面と向かって「早く死んでほしい」と言って、少しでも長く生きられるようにはたらきかけていた私に嫌がらせをしていた。あのおじいさんにがみがみ言う私である、そんな母娘なんか怖くもなんともなかった。
高校受験が頭をかすめる。私の成績は彼女よりずっと上だった。当たり前だ、勉強するには体力が要るのだから、長時間頑張れないからだの持ち主がその点で劣るのはどうにもならない。しかし私にも目指すところがある。私は自分の両親が引越ししたいというのでちょうどいいタイミングで住所を学区の重ならないエリアに移すことにした。自分の両親も店があり、あまり遠くへは移動できないためここは幸運だった。引越しの日、彼女のおばあさんは泣いて別れを惜しんだ。「なあに、電車で一本です。またいつでも来ますよ」実際私はそうしたのだった。
独りになった彼女はやはり悲惨だった。ファミレスに呼び出され一緒に食事をした後、彼女に会計を押し付けて食い逃げした女子生徒がいたのだ。彼女は走ることができない。私は覚悟を決めて、グリップの効くスニーカーとデニムを着て、その相手のもとへ報復に訪れた。支払い分をその場で出させ、二度と彼女に近づかないことを半ば強制的に約束させた。証人は、父の友人男性だった。ことは簡単で、高校に話を出せば相手の経歴には傷がつく。あまり何度も彼女に手を出されると面倒だから、多少の脅迫や威圧は必要だ。
そうしているうちに彼女は人生で2度目の手術を受けた。私はわざと、彼女の病室に京極夏彦の「サイコロ本」を置いてきた。彼女は絶対に自分で選ばないような本である。あのいとことその母親に、私の存在を示さなくてはいけなかった。しかし、手術後のおばあさんが泣いて私に話したのは…彼女はやはり早くに死ぬということだった。私は何より、彼女の苦痛が和らげられること、少しでも軽くなることを望んでいると話した。彼女のある親族は、私の切り替えが早くて怖い、「理解できない」と仰っていたが、私の願いは最初からそうだった。
心臓の形は変えられても、人並みの大きさにすることはできない。
彼女は30になってすぐ、人生を終えた。どうやら私の教会の神父様の元職場でニアミスしたようで、彼女の就職先は大手保険会社だった。からだが無理でなければ、自分の時間と場所を持った方がいいというずいぶん前の言葉を覚えていたらしい。私たちは幸せだった。まだ生きている自分の方が、彼女の影を追い求めてしまっているくらいだ。私でなければありえなかったこと、私じゃなくてもよかったこと、色々あるけれどももうすべては過去になった。まるで私の善意のようなものを無理やり受け取らせたようだって?そう、受け取ってくれる人だから、なんでもしたんだ。
そう、理解できないほど、私たちはぴったりとはまったピースのようだった。彼女の遠い親族のおばさまは、「あなたたちはまるで、双子のようだったわ」と言っていた。畳む
HAIKU
5/13土曜日ETV23:00
ETV特集選「戦禍の中のHAIKU」(2022)
再放送17日水曜日24:00
録画予約しました。
5/13土曜日ETV23:00
ETV特集選「戦禍の中のHAIKU」(2022)
再放送17日水曜日24:00
録画予約しました。
濡れてもすぐ乾き汚れても洗濯機ですぐキレイになる機能的な部屋着を失くしてしまって大慌てで探していたらお外に飛ばされていたらしく喜んで回収。お洗濯してまた着ます。もうこれがないとだめ。枚数が少なくてもお天気悪くても安心をくれる、そんなモノに囲まれて生きていたいです。
そう、お値段は1000円です。素敵。