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2024年9月 この範囲を新しい順で読む この範囲をファイルに出力する

天然石って割れることがあるし、まあまあの質のものを買って取り替えながら持ってるのがいいのかもしれないなー。金属のものが一番信用できる、それはよく知ってる。

ETVで「アイーダ」録画した!と思って見たら抜粋だった。がっかり

日本での大学時代にお世話になった同期のサイトを見て孤独を感じるなど。なんでそんなに早く死んじゃうんだよ…。健康体の人間だからって40まで生きるとは限らないことを理解して生命ってなんなの、と誰かに怒鳴りたい。

A・ビアス『悪魔の辞典」

【戦争】
平和の技術が産み出す副産物。国際親善の時期に、政治情勢が最大の危険に直面する。

【平和】
二つの戦争の時期の間に介在する、だまし合いの時期。

体調悪いから、たくさんたくさん食べてぐっすり眠っていました。喉はまだ少し痛いけどよくなりました。リンゴとキウイフルーツなど食べたらかなり楽になったかも。

今日も35℃超えてて、amazon券買って来ようかと思ったけどキャンセル。いくらなんでも9月半ば過ぎに35℃はひどい天気。昨日ドラッグストアで5cm黒バンスクリップ買ってもらってよかった。ダイアンのダメージリペアコンディショナーもね。もうこのままでいいや。

寝たら鼻詰まりは解消されたけれど元気になったとまでは言えなくて困ってる。喉は相変わらず。

はてなハイクというミニブログがあって昔気に入っていたんだけれど、どうして無くなってしまったんだろう。あの形式なら別に繋がらないままでもよかったのに。coffee-break.ccは今のところベーシックに気に入っている。でも、bookwor.msに戻るべきのような気がする。敢えてなんのリアクションもないmastodonは潔くていいとは思ってる。MisskeyHQがコケなければいいんだけど。その不安は最近少しだけ具体化している。

もう何もかも諦めたいと思う時がある。しかしもう諦めてるから気にする必要なんてない。

サラーム海上さんのラジオ番組、J-waveのOriental Music Showは来週分で一旦終わりだと発表され私は今震えています。

中国で日本人学校の児童が襲われ殺されました。私はひどく辛く感じています。理由は2つ。

1つは、「その街は日本企業、日本人の家庭、日本人社会を受けいれ続けてきた場所。彼らの政府は彼らの受け入れてきた時間と生活を否定した人間がいることを意図的に隠していると知り始めている」。彼らが彼らの政府に反感を持つことはどんなに歴史教育を施されても確実であるということ。その街にはその街のプライドがある。彼らは政府相手にあの侮辱を受け入れるだろうか。

もう一つ。日本もまた半分以上は外国人との繊細な折衝に直接触れたことはない。「愚者は経験に学ぶ」などとよく言われるが、その経験すらないのだ。愛も、憎しみも、自分のものがまったくないのに他人の言葉に乗って、まるでそれが自分のものかのように考えてしまう。つまり扇動されやすいということだ。

困ったことに、いいや、正常なことに、昔から近隣諸国に問題を抱えていない国はない。しかも、日本と中国はお互い青春時代を捧げた人間がまあまあいる。韓国ともそうだ。ほぼ命を燃やしているような10代から20代の頃の自分を否定できる人はどのくらいいるだろうか。音楽、漫画・アニメ、小説、友達、先生、生活、食べ物、景色…そう、他人に否定されてそれを甘受する人はどのくらいいるだろうか。

私ができるのは、犠牲のために祈ることだ。街を信頼して登下校していたのに、その期待がたった一人に裏切られ、お子さんを傷つけられ、死に至らしめられた、その親子のために祈る。

思ったより自分は傷を抱えて生きているなと思う。まあ、自分のそんなものは些末だと思えるから、信仰を棄てないのだけれども。ここをいつか閉鎖してしまおうと思ってるけど、自分のことはやっぱり無料サービスで十分だ。大事ならアナログな手帳に色々書き留めておくよ

Fediverse上にアカウントを作りまくって、それぞれの場所と人を見ていると、自分に価値なんかないなと思う。集まって、語らい、そこに私がいようがいまいが、とにかく集まっていることに価値があるなと思う。

なんだって?!と思うような出来事が今までにたくさんあった。一番びっくりしたのは、大学時代の同窓の奥様の行動である。同窓はタイ人男性で、奥様はインドネシア人女性、後者がプロテスタントの所属だったのでこの友人は仏教からキリスト教に改宗した。

私はいわゆる古いタイプの人間だから、季節のお便りというものを書いていた時期があった。2007年ごろまでだっただろうか。もう、相当昔のことになってしまった。

が、それを見たあの同窓の奥様は「どういうつもり?」とメッセージを送ってきたのだった。何が?という話である。そんなお便りは毎年何十枚と送ったし、君はもしかしてクリスマスカードを送ったことも送られたこともないのか?と聞き返すとメッセージはすぐブロックされた。

恐ろしいのは、彼らは2009年頃に結婚してそれ以来日本に住んでいるという現実だ。なんの冗談だろうね?

レギンス欲しいんだけど。風強い時はスカートなんか選ばないもん

Threadsを読んでみると、なんだかどうも怖い発想というのが組み込まれている人は珍しくもないことがよくわかる。どうやらSSDやHDDを持っている人は子どもを作るべきでないなどと書いてあったような気がしたのだが、これは私の読み間違い。なにやら発達障害を持っていたりその傾向のある人は「子孫に現れる遺伝要因を消すために子孫を作るのを控えるべきだ」という話らしい。

何かの形質の遺伝子を持っていることと、それが顕在化するかどうかはまったくもって別の問題である。多くの人が小さな要因を秘めていて、組み合わせや環境などでスイッチが入ることで現れる。そうでもなければ、些末な利き手の左右やその間のグラデーションは一体どうやって「大多数は確かに右利きだがポツンと左利きや両利きが現れる」などということがありえるだろうか。大昔の人はこんなどうでもいい左利きのことを「障害者」と呼んで排除しようとしたことを忘れてはいけない。そんなことで抹殺されてはたまったものではない、しかも「あなたは違うけれど家族や祖先にいるでしょ」という理由で見た感じ普通の人々も一族郎党巻き込まれるわけである。

もうそんなものは既に通り過ぎて、現在国が賠償をしている段である。「優良な子どもを残すために」「苦労を減らすために」などという発想はその効果に見合わない犠牲を必要とする。なぜかって、もう2000年ほども前の聖書に残された文面を言葉通りに読むのが正しいだろう。「体は、一つの部分ではなく多くの部分からなっています」「目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。」

時々、宗教は理想を書いていると見る人がいるようだけれども、この点については現実、まさに現実で読み手をぶん殴っているようにしか私には思えない。遺伝要素があるからといって、それが見えるように現れている人を妊娠出産から追い出せばいなくなるなどという夢想を敢えて続けようというのは悪意があるようにしか見えない。夢を見ないで現実を見よう。

引用箇所は新約聖書新共同訳コリントの信徒への手紙一から。