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「静かなインターネット」

近年、インターネットで静かに過ごすという試みがあちこちで行われています。
発信だけ行うことができ、書き手の指定したタグや検索条件でのみ閲覧できるとか、あまりブースト・リポストと言われる拡散機能を強化しないプラットフォームであるとか、そういったものです。

Trickle, 「しずかなインターネット」、そして私のように自作サイトに戻ってしまう人、無料ブログサービス、notes、色々です。

ブログサービスも消滅し始めてるし…と思ったら大手SNSである「X」がユーザーを逃すことばかりしているのでほかのサービスがだんだん大きくなってきていますね。いいことです。私はログをすべてダウンロードできるサービスしか使いたくはありません。個人的な好みですけど。

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ひまんちゅになったので色々ぐだぐだ書く時間を得たことにして数時間過ごします

himanchu
himanchu_hiragana


--カネの話--
政治経済系の話も書いていいよーってなってるけど正直MisskeyやMastodonで書いてもいい反応あんまりしないでしょ?ってことでここに書きます。1ドル154円はびびりました。今買い物すべき時期じゃないですね。金をしこたま貯めこんで静かに嵐が過ぎ去るのを待つのがベストでしょう。まあうちにはそんな金はないんですけど。万一2028年までこの円安が続いたらここ閉鎖するかな…趣味と言えどもあまり活用できていない気がするし正直あまり楽しくないっていうか、余裕がないからここを更新し続ける元気がないっていうか。もう人生終わりの方が近いから、できる限り楽しい方や安心する方に向かっていきたいのですよね。自分の人生を自分より大事にしてくれる人はいないわけで、自分を絞ろうとしています。楽しいなと思うサーバーに支援をばんばん送れるようになりたいものです。

--引越しの話--
いや~、色々トラブルが起きることが予想される事態になってきました。そんなのはよくあることです。一番大変なのはもうそろそろお引越しを考えなきゃなっていうところでして。ホントどうしようかな、数人の地主さんにお話は通してあるため慌てる必要はありませんが荷物の量を考えると「ああー、これを運び出すのか…」とうんざりしているところです。少しずつ整頓しています。

--メンタル--
もう何も考えたくないくらい追い詰められている部分があります。今後次第によっては本当に未来がないとさえ思っています。しかし先のことをあまり思い悩んでも今すぐに何かができるわけでない状態で心身を疲弊させるだけです。余計にすり減ってしまわないように、目の前のことを着実にこなしていくほかありません。

--あかるいはなし--
コスメで一番気に入ったのはやっぱりケイトのリップモンスター5番とスチームマットヌードリップ3番です。優しい色合いがすごくいいですね。

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あんまり気分が晴れなかったら、https://blog.thewhitenotes.net を消滅させてしまうかもしれません。その場合はライブドアブログで続けます。あまりオンラインで人さまに見せてはいませんが、私は今荒れまくっています。しょうがないことですね。自分を気にすることなく日常をやります。畳む

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NHK語学講座録音してる番組

まいにちロシア語(初級編/応用編)

まいにちハングル
ステップアップハングル

英会話タイムトライアル
シンプルイングリッシュ
ビジネス英語
ボキャブライダー
ラジオ英会話

多すぎるくらいでちょうどいい、ロシア語とハングルに関しては音声を自分に叩き込むのが目的。英語はたくさん聴いて忘れないようにするのが目的。畳む

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復活大祭が楽しみ。

今年の復活大祭は5月5日、子どもの日です!よっしゃー連休じゃん教会行けるぜ(しかも次の日が月曜であるものの休みだから慌てて次の日の支度をせずともよい)と思ってウキウキして家族に話したところ、上の子が行きたいと。うーんいいんだけどほかの教派よりめっちゃ長いことで有名だし、退屈しないだろうかと不安を感じます。いや、いいんだけどね、実際正教国の人々がいっぱいいるし、おそらくそういった人と会う機会はどうやら学校でも少ないようだし…まあちょっと地味めな服装をちょいちょいと買ってきました。さすがに派手色は小さい子でもないとびっくりされちゃいます。

しかし奉神礼のあの空気に没頭して触れたいので下の子は置いていきたい…です。子どもへの宗教団体加入を義務とするところは多いですが、私には重いというのが正直なところでやりたくはないですね。かといって私が理解を挫折した仏教や文化的にかなり壁の厚いイスラム教に子どもが入信して私の方が勧められたらどうしようというのはあります。頭がパンクしちゃう!

多数派のキリスト教徒はこの世を「やばいもの」「イヤなもの」として認識しているらしいことは知っていますが、正教はそういった見方をしないので私の世界観を見るという意味ではまあまあいい体験かな?「自分の周りに人がたくさんいるのはいいこと」と思っていることに上の子は非常に疑問を抱いているようです…助けてくれるかもしれないじゃん…

自治体の未成年向けの相談窓口や学校巡回中のスクールカウンセラーも申し込みさせたし、あともうひとつってところで(ちょっと遠いから優先順位低めだけど)教会。親に話せることばかりじゃないだろうし守秘義務のある相談相手がこれだけいればいいかなあ。これから下の子のことで手一杯になる瞬間が絶対あるとわかってるし、穴はふさいでおきたいんですよね~。

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だらだら書いてる。

育児の行き着く最終地点を「親を不要とする域に達する」だと思って生きていますが、大多数の親御さんはそれを喜ばしく思っていないことを知っています。親である自分が子どもに助けてもらうまで生きているという前提で考えているからです。もちろん直接の親子であるならば書類にサインできるのはその子だけなので何かしら手続きをしてもらわなくてはなりませんが、現代的には同居親族でなければ必ずしも介護しなくてはならない訳ではありません。ただ、同居親族を適切に対処せず放置して死なせてしまった場合「保護責任者遺棄致死罪」にあたることになるためとにかく子どもに罪状が渡らないようにするためには別の住所に住んでいてもらわなくてはなりません。いくらなんでも子どもを殺人罪に準ずる状態にしたい親はいないでしょうから(自分がひどい状態で死ぬことになりますからね)。

経済的な問題で親と別居しない・できない人は非常に多いでしょうが、次はこういった問題が考えられるだろうなと思っています。幼い子どもを放置して死なせてしまったり病気・怪我を引き起こした場合がよく取沙汰されますが、実際にはお子さんたちよりお年寄りの方が多く、子どもを自ら持とうとせずとも(書類上親がいない場合を除き)ほぼ全員が親はいますし、絶対数が違いますね。

誰だってお年寄りにはなります、病気や事故で突然死ななければ。今若くても歳を取るわけです。昔の感染症だと思っていたものが再び湧き上がってくるとダメージが大きくなります。総務省によるともう既に死亡数が出生数を上回っています。親族や賃貸オーナーが片付けきれない場合のことも行政は考えなくてはならないはずですが、数少ない職員が当たっています。

ところで、台湾花蓮での大地震の後数日後にはもう温かいシャワーを被災者が浴びていますが、あれは行政だけの手助けではありません。日本には伝統的な宗教団体と、信仰の篤い(というか、ほぼ迷信じみていると言っていいほどのレベルで畏れを抱く)お金持ちたちの作る慈善団体がああまりありませんね。日本の慈善行動は対象を限定しようとする傾向があります。その信仰を持っている人、会員(氏子、檀家)、経済的に完全なる弱者、障碍者、例えば奨学金なら「とにかくトップレベルの成績」など。台湾の慈善行動はとにかく熱心です。我々日本人は「古臭い」などと忌避しがちですが、慈善を発することがなければ受け取る人も非常に少なくなります。「ふるさと納税」などという見返りのあるものを彼らは寄付とは呼びません。むしろ恥じるべきことです。見返りがないから信仰の対象から希望を与えてもらえるといった思考システムは現代まで人類を連れてきたのですから、もうそろそろ考え直すべきでしょう。

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アットコスメ

shoes

すっごく懐かしい画像を見つけちゃいました。
ずいぶん前、アットコスメではたくさん口コミ(感想)を書くと、こういうかわいいアイコンがもらえたんですよね。
このピンクハイヒールのアイコンを目当てにいっぱい書いたな~と思って。ほかに何のアイコンがあったか忘れちゃいました。

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初めてのリップスティックが突然変異を起こして帰ってきた話

初めてのリップスティックを覚えていますか?

私の好きなメーカーは昔も今もカネボウです。もう今では花王に買収されてしまいましたが、逆にこの2024年春に花王のオーブ(ポイントメイク)がブランドごと消滅、カネボウのケイトが生き残るという人気度の差によってブランドやその強気でクールなイメージが残ることになりました。今も1位の資生堂や花王のオーブはどちらも無難フェミニン系のカラーや質感がかぶるからでしょう。

私の初めてのリップスティックはカネボウ・テスティモⅡの「スーパーリップ」です。色番はさすがに忘れてしまいましたがとにかくワインやレッドを1本ずつ、そしてポイントメイクリムーバーを買った覚えがあります。中学生が繁華街で見る女性たちはみなクールな顔をしていましたから、それが当たり前だと思っていたんです。髪を下ろせば相当にエキゾチックな人間に見えていたことでしょう。

この「スーパーリップ」、広告業界では木村拓哉さん、とにかく男性を起用したということで話題になっていました。カップルであることが当たり前という比較的保守的な価値観で、しかしながら強気な色のラインナップ。今ほどは白肌であることにみなこだわりはなく、ファンデーションなどの標準色は少し暗めで黄色みが強かったように感じます。「落ちない」ことに非常に重点を置いた製品で、残念ながら唇は荒れがちでした。

ここ数年で同じカネボウ内で話題になったリップスティックがありましたね。「リップモンスター」「リップモンスタースフレマット」です。こちらもまた「落ちない」ことを重視した製品です。違うのはその落ちない仕組みと、質感です。スーパーリップはとにかくマットで唇の湿度をすっかり奪ってしまっても更に乾燥を引き起こしましたが、リップモンスターはある程度唇の湿度を奪ってジェル膜を作り上げればそれ以上の乾燥をほとんど引き起こす必要はありません。唇に色を定着させること自体は同じでも、メカニズムが違えばこんなにも違うものか…と驚くべきところです。

ちょうど私が高校生だった1998年以降、このカネボウ・ケイトを一度も使ったことのない女性はほぼクラスメイトにはいませんでした。もう常識レベルで使ったことがあるんです。ただ、ギャル系はアイメイク一筋だったためアイメイクだけはケイトを、そしてリップは外資系ブランドを買う、といった人がすごく多かった気がします。美白系スキンケアコスメが流行った後はもう軽めの色も似あうような気がしてディオールのピンク・オレンジ系のキュートなツヤツヤリップを塗るようになっていました。この時はもう、口紅の形をしていてもほぼ色付きリップのような扱いで、落ちたらまた塗ればいいじゃない、という意識です。もはや落ちても誰も気にしないのです。もっともっと軽くカジュアルになったのでした。

しかしカネボウの技術は「落ちない」を諦めなかったのでしょう。人々の意識が口紅をリップクリーム代わりにしてしまっても、やっぱり口紅に戻したかったのかもしれません。そりゃそうですよね、発色のいいリップクリームじゃ本来のコスメ魂には響きません。なんだか納得いかないのを「まあ、いいか~」って流していただけですから。COVID-19、つまり新型コロナウイルスの流行蔓延のためにマスクが必要なアイテムになると、リップ製品とファンデーション、チークは置き去られました。私も肌色のBBクリームとパウダーだけで過ごしていました。でも…ここまでくると「まあ、いいか~」なんて言えなくなってくるんですよね。本当につまらなくて、飽き飽きするし、華やかさの一片も自分から取り去られた気分でした。元々派手なものを常に肌に飾るのが好きだった人は気まぐれに時々塗る私よりもずっとストレスが溜まったのではないでしょうか。

そこに颯爽と現れたリップモンスター。売れないはずがありません。不正な商売だから転売ヤーから絶対に買わないのではなく、衛生用品・医薬品・薬品その他化粧品やそして食料品は絶対に正当な店舗からしか買わないのが常識だと思ってきたため私はひとつたりともそういった個人から買うことはしませんでした。ああいった人々は他人の感情を理解していないのだろうと思いますが、化粧品というのは、特に自分を飾るための製品というのは自分を表現しようというもので、感情を揺さぶるそれを奪っておいて「売ってやる」という姿勢は憎まれて当然です。私は元々が非常にきつい強情っぱりですが、そうでない人を強情っぱりにさせるようなものです。しかも、安室奈美恵さん引退直前にコラボしたViseeのアイシャドウパレットの時よりもずっとストレスがかかった状態ですから…。花王に裏打ちされた生産力に転売ヤーの財力がかなうはずもありません。そのうちに店頭にずらりと並び、新色追加、限定色追加、スフレマット追加と追い打ちがかかり、転売ヤーは在庫の焦げ付きを隠せなくなったようでした。ご愁傷さまです。

1996年の「落ちない口紅」が2021年にまったくの新製品になって帰ってきたお話でした。畳む

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ケイト!

マットラテリキッドシャドウのEX-2ホワイトピンク

スチームマットヌードリップEX-1ホワイトピンク

ピンク気になる…淡いからいいと思うんだけど、買いすぎが怖くてそんなに買えない。

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寄生虫のはなし

(※リンク先は病理的話題とはいえセンシティブです)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%...
地方病 (日本住血吸虫症)-Wikipedia

この記事を読んだ時ほとんど甲府地方に長らく続いた寄生虫撲滅の歴史が非常に生々しく感じられ、苦しいほど感動しました。腹水や痛みに苦しみ、その地域にある「地方病」(風土病)がなくなるようにと願ってその当時では検体など恐ろしくてできないような時代の感覚に一切背き自らのなきがらを捧げた女性、医師、軍医、研究者、政府や自治体、そして一般の人々。

凄まじい…もう一度読みます。

Murmur

忘れちゃうのが惜しいとは思うんだけど(3000文字)

憧れのブログってありませんか?

私が「白背景のシンプルなブログ」にこだわり続けている理由。それは…Rさんの「携帯写影」。
http://hemp.blog1.fc2.com

今までのタイトル画像も、とってもスタイリッシュ!
http://hemp.blog1.fc2.com/blog-entry-363...

Rさんとの出会いは確か、FC2ブログ以前の「MEMORIZE」時代。

その頃私は学生で、画像がごちゃごちゃした感じのテンプレートが好きで、ついつい「1KBの素材屋さん」でピンク色や水色のチェック模様の背景をダウンロードして使っていました。でも、Rさんは潔く美しく真っ白なテンプレート!非常に強い印象が残っていました。しかも、長文を書きたくてしかたない病気を持つ言語オタクの私とは違い携帯電話で撮影した画像をペタリ、というこれまた更に潔く美しいスタイル。憧れたけど私にはできません…エンピツ( http://enpitu.ne.jp )の「ドロップシャドウ」や「プチアイコン原色」( http://enpitu.ne.jp/tool/design.cgi ここの下の方に見本があります)を使うのが精いっぱいでした。

メモライズがライブドアに飲み込まれて消滅(ブログ形式になり、元の日記形式が消えたので「消滅」)した後はエンピツ日記を5年から6年利用しました。元の場所に戻ろうか迷いましたが、自分のドメインをGETしたのでもう戻らないことに決めています…もし自分のサイトを維持するのが難しくなったとしても、戻る先はライブドアブログです。

年単位のログは大事にCD-Rに焼いて、更にクラウドに置いてあります。およそ20年前の、約5年分の日記はあまりにも貴重です。しかし、自分の正気を疑っている理由の一つとして、アナログの手帳にもこまごまと書きつけていたことです。実は…それは、今もなんですよね…大人になってから自分の日記帳だと思っているサイトに書き込む量は減ったものの、いまだにデジタルアナログ両方に書いています。私は本当に正気なのでしょうか?

そして子どもたちの存在が親としての自分の収納スペースを圧してきたため、アナログ日記帳を10年連用日記にして4年目です。厚みがさすがに毎日堪えるから、6年後にはきっと5年連用日記を買うことになるかと思います。続ける気なんですよ、私。ただ、持ち歩き用の手帳をB6に格上げしたしもしかしたらそこに全部書けるならそうしようかと考えています。予定が更に増えて、そんなことは無理だろうとは想像がついていますけれども。夫はこんな私に呆れています。

私の書きたい欲は限界を知らず、更にFediverseに文字を激しく打ち込むことまで始めました。Twitter/Xの比ではありません。もうここまでくると確かに根本的にRさんのような潔く美しいブログを作るなんて私には無理だったんだなと思わされます。個性、ここまで憧れをひっくり返すレベルの存在感があるんですね。自作サイトやめたいなと思ってもやめられなかったんです、むしろ変な趣味に入れこまなくて済むんだからこのまま続行するのが正しい趣味の使い方なのかもしれません。世の中はそんなこと求めていませんから、私が取りつかれているだけなんですよね、見返りのない狂気の情熱、もうちょっと正気に近かったらもう2つほど言語をマスターして警察か裁判所に貢献するべきですね。中国語学習者として多少は手伝ってるけど、まあ…ぼちぼちがんばります…。クルド語はいいから(除外していいなんて何かあったのか、あてが見つかったのかのどっちかかなあ)もうロシア語とウクライナ語をやってくれとは言われています…なんというか、世の中学校の成績が優秀な人に奨学金をまいてやればいいと思っている人がけっこうな大多数だと思いますが、私はそこまで優秀ではないけれど必要とされる種類の人間のようです。たぶん成績以上に信用度だよなあと思ったりしますね、いわゆるエリートが社会的カルト(宗教に限らず、思想)の手足になっちゃうの、昔からありますから。

話が逸れましたね、ごめんなさい。日記っていうのは、その日に何が起きたか、何をしたか、何を見て何を感じたか、に集約されます。一番大事なのは最後の「何を見て何を感じたか」です。いまはストリーミングサービスもいっぱいあるし、そのときでないと見られないもの、聴けないものというものがほぼありません。その時に感じたことと今の自分が感じること、全然違うことがありますよね。それが一番「その日の自分」を表しています。

インターネットに触れる以前の自分の行動や感情は繰り返し夢に見ます。幼い頃親が自宅として借りていたボロ屋を退去した後、電気ガス水道全部止まっているにもかかわらずこっそり入り込んでぼんやりしていたのも、言葉にならない思い出です。あの時の自分は手帳にそれを書きませんでした。書けなかったのです、書くためには内容が必要ですが、いまだに言葉にならない経験だったからです。あのとき私は靴のまま上がり、自分の眠っていた部屋や風呂場、日本の古い仕立てのタンス、父のレコードプレーヤー、私はほとんど開けなかった納戸などを見ていました。私のものであり私のものでない場所、そしてこの経験は親の店を閉めて片付けてもらうために頼んだ業者さんが引き払った後の物件を訪れた時も似たような心情になりました。この時のことも私は日記に「空っぽになった店を見に行った、もううちの店ではない」としか書いていません。何を思ったのか、それが空っぽであれば書きようがありません。

40歳をすぎて驚いたことに、そういったことを忘れていくのです。記憶が人を形作ると思っていた私には非常に大きな衝撃がありました。何かを忘れても自分として確かに存在しているのは、はっきりいって奇妙です。そもそも、ある言語を学び始める前の感覚は思い出せませんが、学び進めていく途中の感覚は覚えています。学び始めたばかりの頃は何でもはっきりと聴こえません。大量に聴いてはダイアログを読んで、音声に慣れて、文字に慣れて、それでようやくだんだんはっきりと聴こえるようになります。どの言語もそうです。学んで使えるようになったころには、そのことばが聞こえなかった頃の感覚がありませんし覚えていません。もとの自分を忘れています。

毎日古い自分が死んで新しく生まれているのだという文が伝統的キリスト教にはあります。たぶん正教会、カトリック、ルター派までしかこの発想はないかもしれません。これは教会暦というものがかかわっていて、1年・1週間・1日の中でイイススハリストスの生涯を追って経験するといった目的で作られています。つまり夜眠ったら「死」を意味し、朝起きたら「生」を意味するわけです。修道院だとこれが時課といって何時にそれにあたる祈りをやる、といった感じでもっと具体的になります。

もしかしたら、そういう意図ではないとしても、いつか自分の何かが失われるとき同時に自分の何かが新しくなるのかもしれません。言葉になるものは日記に書けるけど、ならないものは…どんどん失われてしまう、でもそれをそんなに惜しまなくてもいいのかな、と最近になってようやく思えるようになりました。畳む

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